東京急行電鉄株式会社自動車部

提供: 下北沢百科

東京急行電鉄株式会社自動車部は、東京急行電鉄の自動車部門である。東京横浜電鉄東京急行電鉄に改称し、いわゆる「大東急」になったことに伴うが、これに前後して山手線以東のバス事業を東京市に譲渡している。戦後には各社が独立するにつれて路線も一部譲渡されたが、戦後長らくバス路線として重要な地位を占めた。平成三年(1991年)に東急バス株式会社として独立。

ここでは下北沢地域に関連する路線のみを扱う。

経緯

以前の経緯は東京横浜電鉄自動車部を参照のこと。

戦前・戦中

  • 昭和十六年(1941年)7月15日、鉄道・内務両大臣より、陸上交通事業調整法第二条第二項の規定により、東横電鉄所属の旅客自動車運輸事業のうち、国有鉄道山手線より東を東京市に譲渡するよう命令。
  • 昭和十七年(1942年)
    • 2月1日、目黒営業所・中延営業所・ヱビス営業所・芝浦営業所の該当路線を東京市に譲渡。
    • 5月1日、京浜電気鉄道・小田急電鉄を合併し、東京急行電鉄に改称。両社のバス事業も継承する。同日、城南乗合自動車のバス事業も吸収した。
    • 12月、梅森蒲田自動車の蒲田駅~六郷土手間などのバス事業を吸収。
  • 昭和十九年(1944年)
    • 5月31日、京王電気軌道を合併し、同社のバス事業を継承。
    • 8月1日、府中乗合自動車商会のバス事業を吸収。

戦後

  • 昭和二十一年(1946年)、東都乗合が国際商事に売却される(国際興業バスのはじまり)。幡ヶ谷線が運転再開。
  • 昭和二十三年(1948年)、大東急分割により、小田急電鉄・京浜急行電鉄・京王帝都電鉄が分離された。
  • 昭和二十四年(1949年)、若林線開通。
  • 昭和二十五年(1950年)、幡ヶ谷線が都営バスとの相互乗り入れで東京駅まで延長。
  • 昭和二十八年(1953年)、淡島営業所の代田線が開通したことで休止路線の復旧がほぼ完了したとされる。
  • 昭和三十四年(1959年)、上町線開通。
  • 昭和三十七年(1962年)、若林線が上町線に統合される。
  • 昭和三十九年(1964年)、東京オリンピック開幕直前に、環七線が高円寺陸橋~新代田駅~代田四丁目~馬込銀座間で運行を開始。
  • 昭和四十年代、上町線が区民会館線(弦巻営業所)として、渋谷駅~世田谷区民会館の運行となる。
  • 昭和四十二年(1967年)、環七線が都営バス(杉並自動車営業所)と東急バス(駒沢営業所)の相互乗り入れにより、都バス138系統・新宿駅西口~代田橋~新代田駅~大森駅~大森操車場間が開通。
  • 昭和五十年代、区民会館線が若林線となる。
  • 昭和五十二年(1977年)、幡ヶ谷線が東京駅直通運転を取りやめ。渋谷駅起点のバス路線に戻る。
  • 昭和五十三年(1978年)12月19日、代田線廃止。
  • 昭和五十九年(1984年)、環七線が路線分断・短縮。都営バスは宿91(新宿駅西口~野沢銀座)、東急バスは森91(新代田駅~大森操車場)となった。
  • 平成三年(1991年)5月21日、東急バス株式会社設立。

この後の経緯については東急バスの項を参照のこと。

昭和十七年時点の状況

『東京横浜電鉄沿革史』より、昭和十七年4月現在の「現在自動車営業路線」が掲載されている[1]。4月現在ということは厳密には東京急行電鉄に改称する直前ということになるが、東京市に一部路線を譲渡した後、東京急行電鉄自動車部としてのスタート時点の路線一覧であると見なすことができる。そのうち、下北沢地域周辺に関連する路線を抜粋すると以下のとおり。

営業所名 支所名 管轄営業区間 粁程
中野   中野駅前~東北沢駅前 5.90
川島町(千代田町経由)~鍋屋横丁 1.47
十貫坂上~大宮八幡前 2.89
東京高等学校前~大宮国民学校前 2.51
代々木 渋谷駅前~東北沢駅前 3.13
大向~角筈 3.13
大正 中野坂上~桃園橋 2.34
中野駅前~練馬駅前 5.08
江古田四丁目~丸山 0.07
計26.52
世田谷   渋谷駅前~溝の口 11.80
駒沢~玉川警察署 2.10
三軒茶屋~調布 12.30
淡島 上通四丁目~恵泉女学園前 6.25
世田谷税務署前~中原口 1.30
計33.75

このほか、池上営業所、同大森支所、中延営業所、同不動前支所、神明営業所、目黒営業所、同ヱビス支所、小杉営業所、同神奈川支所がリストアップされている。

戦後の路線

以下、戦後の運転再開/新規開設順に配列している。

幡ヶ谷線

代々木乗合自動車の渋谷~三角橋東北沢ルートを母体とし、中野営業所および代々木営業所の渋谷~中野駅間のルートを継承している。

  • 昭和二十一年(1946年)4月21日、渋谷駅~東北沢駅間で運転再開。
  • 昭和二十三年(1948年)、大東急の分割によって中野営業所は京急に譲渡され、東急代々木営業所管轄の幡ヶ谷~東北沢~渋谷間のみとなる。
  • 昭和二十五年(1950年)5月6日、都営バスとの相互乗り入れで東京駅まで延長。都営バス渋谷営業所と共同運行で、都バス123系統となる。ルートは、東京駅八重洲口~有楽橋~数寄屋橋~新橋~虎の門~溜池~六本木~西麻布~青山車庫前~渋谷駅前~上通り四丁目~東大裏~代々木上原~東北沢~幡ヶ谷。系統名は後に「東84」に変更される。
  • 昭和五十二年(1977年)12月15日、東京駅直通運転を取りやめ(渋谷~新橋間に並行路線である橋89系統があったため)。渋谷駅起点のバス路線に戻る。


  • 渋55:渋谷駅~東大前~代々木上原~東北沢~幡ヶ谷折返所

この路線における代々木上原バス停は、代々木上原駅からは離れており、かつての代々木乗合自動車のルートをおおむねなぞっている。

若林線

淡島営業所所管。渋谷上通四丁目から淡島淡島通りを経由して経堂・恵泉女学園前に至るルートが母体である。

  • 昭和二十四年(1949年)、渋谷駅~若林間で運行。経堂へのルートは小田急バスに渡り、梅ヶ丘通りを経由するルートに変わった。
  • 昭和三十四年(1959年)9月1日、弦巻営業所管轄で上町線(田園調布駅~世田谷区民会館)が開通。
  • 昭和三十七年(1962年)、渋谷駅~世田谷区民会館が開通。後に上町線(弦巻営業所)に統合され、渋谷駅~淡島~用賀~田園調布駅を結ぶルートとなる。
  • 昭和四十年代、区民会館線(弦巻営業所)として、渋谷駅~世田谷区民会館の運行となる。
  • 昭和五十年代、区民会館線が淡島営業所に移管され、若林線に統合される。


  • 渋51:渋谷駅~駒場~淡島国立小児病院前~若林折返所
  • 渋52:渋谷駅~駒場~淡島~若林駅前~世田谷区民会館(世田谷区役所)

代田線

淡島営業所所管。戦時休止路線の中で最後に復旧した。戦前の路線では淡島通り経由で世田谷税務署前から中原口までのルートがあったが、梅ヶ丘通りを経由して代田四丁目(旧中原口)に至るルートとして再開したものである。

  • 昭和二十八年(1953年)10月16日、運行開始。
  • 昭和五十三年(1978年)12月19日、若林線との重複整理のために廃止。


  • 渋53:渋谷駅~駒場~淡島~代沢小学校~代田四丁目

環七線

東京オリンピック直前に運行開始した東急バス環七線と、戦前から新宿西口~新代田駅間をつないでいた都営バスが共同運行することになり、最長時には新宿駅西口から環七、新代田駅前経由で大森操車場までをつないでいた路線である。現在は北部が都営バス、南部が東急バスとして分割運営されている。

  • 昭和三十九年(1964年)10月1日、東京オリンピック開幕直前に、高円寺陸橋~新代田駅~代田四丁目~若林駅~上馬~野沢銀座~洗足駅入口~夫婦坂~馬込駅~馬込銀座間で運行を開始。駒沢営業所管轄。
  • 昭和四十二年(1967年)6月25日、都営バス(杉並自動車営業所)と東急バス(駒沢営業所)の相互乗り入れにより、都バス138系統・新宿駅西口~東高円寺駅~代田橋~新代田駅~大森駅~大森操車場間が開通。後、系統番号整理で宿91系統となる。
  • 昭和五十二年(1977年)、都営バス宿73系統が新宿追分~新宿駅西口間を廃止して短縮。
  • 昭和五十九年(1984年)2月16日、路線分断・短縮。都営バスは宿91(新宿駅西口~野沢銀座)、東急バスは森91(新代田駅~大森操車場)となった。このとき、駒沢営業所から大橋営業所に移管された。東急バスは都営代田操車場を使用し、都営バスは東急野沢折返所を使用することとなった。
  • 平成二年(1990年)、都営バス宿91系統が宿73系統を統合。
  • 平成五年(1993年)、都営バス宿91が駒沢陸橋まで延長される。
  • 平成十一年(1999年)、東急バス森91が下馬営業所に移管、東急トランセ委託路線となる。
  • 平成二十五年(2013年)、都営バス宿91が新代田駅前~駒沢陸橋間を廃止して短縮。


  • 都営138→宿91:新宿駅西口~東高円寺駅~代田橋~新代田駅前~大森駅~大森操車場
  • 都営5→宿73:新宿追分~新宿駅西口~東京医大病院前~中野坂上~鍋屋横丁~新中野駅前~東高円寺駅前~堀ノ内~和田堀橋~代田橋~新代田駅前(→宿91)
  • 現在の宿91:新宿駅西口~東高円寺駅~代田橋~新代田駅前


  1. 東京急行電鉄株式会社 編『東京横浜電鉄沿革史』(東京急行電鉄、昭和十八年)pp629-626