下北沢地域

下北沢(しもきたざわ)地域は、東京都心部の西郊、世田谷区北東部に位置する地域である。

範囲

下北沢駅は小田急線(地下)と井の頭線(高架)が交差して「X」の形が特徴的である。

下北沢という地名は現在存在しておらず、駅名として小田急線および京王井の頭線下北沢駅が存在している。この下北沢駅を中心とした一帯が「下北沢」(シモキタ)と呼ばれる。下北沢駅は、東京都の中では西部に位置する世田谷区の北東部にある。

ただし、下北沢の範囲については厳密な定義はない。おおむね、以下のような重層的な範囲が下北沢(シモキタ)のイメージとして受け取られている。

  1. 下北沢駅のある北沢二丁目:雑貨屋・古着屋・劇場・ライブハウスなど、「商店のシモキタ」をイメージさせる店舗が多く集まっている商業地域。(インナー・シモキタ)
  2. 北沢二丁目の周囲に広がる住宅街を含む地域:この規模の商店街のすぐそばに住宅街が広がっており、その住民を含む地域。おおむね、下北沢駅の隣駅(小田急線の東北沢駅世田谷代田駅、井の頭線の池ノ上駅新代田駅)までを最寄り駅とする範囲が含まれる。現在の地名ではおおむね北沢代沢代田あたりに該当する。(ワイド・シモキタ)
  3. 下北沢村および代田村の範囲。現在の地名ではおおむね北沢代沢代田大原あたりに該当する。(アンティーク・シモキタ)

本サイト(下北沢ヒストリアイ下北沢百科)において中心的に扱う範囲は、以下のとおり、ゆるやかに広い範囲とする。

この定義によれば、北は杉並区との区界(玉川上水笹塚駅)、東は渋谷区目黒区との区界(三田用水)、南は淡島通り東京都道423号渋谷経堂線)=滝坂道、西は梅ヶ丘駅付近から羽根木公園を通って代田橋駅付近をつなぐラインに囲まれた範囲を「下北沢地域」として扱うことになる。

地形・水系から見た下北沢の立地

世田谷の水系図(『世田谷の地盤について』より)

下北沢地域の南側を西から東へ流れる北沢川は、目黒川の支流の一つであった。この東西の流れに対して、通称ダイダラボッチ川森巌寺川が北から南へと流れ込んでいる。また、池ノ上駅の東側の谷(溝ヶ谷)の流れも合流していた。したがって、下北沢地域は目黒川水系に属することになる。玉川上水・三田用水は上水の性質上、高台を流れるように作られている。玉川上水を越えて北側は神田川の流域となり(荒川水系)、三田用水を越えて東側は渋谷川の流域となる。

北沢川は三宿烏山川と合流して目黒川となり、駒場方面から流れてくる空川を合わせて池尻を通り、目黒品川から東京湾へと至る(「品川」とはもともと、目黒川の河口付近を指した河川名だった)。その途中で、世田谷区中央部を通る蛇崩川も合流する。

一方、世田谷区の西南部は多摩川水系に属する。ざっくりと分ければ、北沢地域世田谷地域烏山地域東半分と砧地域船橋あたりが目黒川水系、砧地域の残りと烏山地域給田祖師谷および玉川地域多摩川沿いが多摩川水系、その間を呑川が独自の水系として流れている[1]

この水域は、地表にできた「しわ」のうち、比較的低くなった部分である。それ以外の部分は比較的高くなっている。したがって、下北沢地域の地形は、東西に流れる北沢川を「底」とし、南北に流れる川の間に丘が北から伸びている。西に代田の丘、東に代沢の丘がある。下北沢駅はちょうど、この沢と丘の上をつなぐように位置している(下北沢駅南口はやや低地、下北沢駅西口は丘の上にある)。この起伏に富む地形が下北沢の雰囲気を作り出す一因ともなっている。

パスから見た下北沢の立地

下北沢地域は、従来は農村であったが、関東大震災後、東京市民が郊外に住むようになった余波を受けて、次第に宅地化していった。下北沢の歴史は鉄道開通から語られることが多いが、実際にはそれ以前からバスによって都心とつながれ始めている。

昭和二年に小田原急行鉄道小田原線(現在の小田急線)の下北沢駅が開業し、さらに昭和八年には帝都電鉄(現在の京王井の頭線)の下北沢駅も開業された。これにより、下北沢は都心の新宿渋谷という巨大な2つのターミナルと強く結ばれることとなり、住宅街としての下北沢の街が発展することとなった。その中には多くの文人たちも含まれていた。一方、小田急線によって東宝映画東京撮影所と結ばれていたことにより映画人が下北沢に居住することとなった。戦前からサブカルチャー人脈の集まる街でもあったことは、その後の下北沢の雰囲気を決定づけるものとなった。

小田急が地上、井の頭線が二階で交差する「下北沢X(エックス)」は長らく下北沢そのものを象徴するものとして親しまれてきたが、小田急線複々線化事業により2013年に小田急が地下化した。これにより、目に見える形での立体交差は見られなくなったが、新宿小田原箱根江ノ島を結ぶライン、渋谷吉祥寺を結ぶラインがこの下北沢で交差することは依然として重要な意味を持っている。また、この「あとち」の活用方法(上部利用)については、建設的な話し合いが勧められている。

一方で下北沢と道路交通との関係は良好とはいえない。江戸時代以前に遡る滝坂道は代田の南端を東西に通っていた。現在は東京都道423号渋谷経堂線(淡島通り)となっているが、渋谷から環七手前までを結ぶ補助的径路にすぎない。南北を結ぶ古くからの道としては堀ノ内道鎌倉通りがあるが、堀之内道は東京オリンピック直前に環七となって、かつて存在した中原商店街を分断、商店街を消滅させた。鎌倉通りは二車線で淡島通りと交差したところで自動車道としての役目を終える(その先の細い道は、太子堂八幡神社につながる)。現在、下北沢と三軒茶屋をつなぐ南北の幹線道路といえる茶沢通りは、比較的新しく作られた道である。

さらに、現在の住宅地・商業地の中央を横切る補助線街路第54号線及び世田谷区画街路第10号線計画が、昭和二十一年に決定されたまま、現在も完成を見ていない。この計画を歓迎する声もあるが、一方で下北沢の街を分断する破壊的計画であるとして根強い反発もあり、下北沢再開発問題はいまだ合意を見ていない。

小説『下北沢』における下北沢の範囲についての議論

 行ってみるともう「鳥海亭」の中は大騒ぎになっていた。狭い店内にはほかにも呑んでる人たちがいるっていうのに、みんなまるで貸切みたいに大声を上げて議論をしている。それがまた酔っ払いにふさわしい議題というか、「下北沢はどこからどこまでが下北沢なのか」という、他愛もない話だった。そして僕は基本的に、他愛もない議論が大好きときている。
 桃子さんと向かい合わせに座り、ビールを頼んでさっそく僕は議論に参加した。代沢三叉路から茶沢通りをまっすぐに、「ザ・スズナリ」から小田急線の踏切まで行って、そのまま一番街を突っ切って、成徳学園の手前で左折すると鎌倉通り、ずーっと行くと今度は井の頭線の踏切があって、そこから坂を下りていくと、「エグザス」っていうフィットネスクラブの向かい側にある踏切があるから、それを渡って南口商店街に出るという、ほぼ四角形をした部分を下北沢というんじゃないか。
 ところがこの穏当と思われる意見は、その場で総スカンにあった。それもみんなに共通した反対意見があるんじゃなくて、一人ひとりが自分の「下北沢境界線」を持っているんだ。
 だいたいみずほの誕生日でそんなこというべきじゃなかった。なぜならミチオの母親が今住んでいるマンションは、代沢三叉路からずっと三軒茶屋方向に行ったところにあるんだから。二人は僕に向かって、代沢小学校の隣に延びる桜並木の緑道が、いかに下北沢という街にとって重要な意味を持っているかを諄々と説いてきた。ミナナミ・ナミコは逆に東北沢に住んでいるから、ヒマラヤ杉――大きなヒマラヤ杉がミナナミ・ミナコのマンション近くにあるのだ――を下北沢に含まないなんて考えられないといいだし、しかし「エグザス」のある方面にはまったく関心がないと公言したので、桃子さんが明るい声で笑いながらも抗議した。桃子さんは「エグザス」に通っているし、代田二丁目には友だちも住んでいるというし(ちなみに僕も代田二丁目に住んでいる)、一番街だのヒマラヤ杉なんかはどうだっていいから世田谷代田(小田急線の下北沢の次の駅)をもっと重要視すべきだと、桃子さんらしい穏やかな知性をのぞかせながらもやや強硬に主張した。ミナナミ・ナミコのボーイフレンドも持論があるみたいだったし、話の途中でビールを持ってきた店員さえも何かいいたそうだったから、この話には統一した見解を出すことなんか到底できないんだと、僕はつくづく思った。
「結局」ミナナミ・ナミコのボーイフレンドが結論ぽくいった。
「下北沢っていうのは、世田谷区北沢と、代沢代田と、みっつの地区を全部包括してると考えなきゃ、みんなを納得させられないんだな」 — 藤谷治、『下北沢 さまよう僕たちの街

それどころか大原羽根木も含めなければならなそうなので、このサイトにおける「下北沢の範囲」とは、要するに「このサイトではどの辺りのことまで載せるのか」という限定された意味合いでしかない。「下北沢はここからここまで」と言い切ることなど誰にも決してできないのである。

注釈

  1. 世田谷の地盤・液状化 - 世田谷区ページに掲載されている『世田谷の地盤について』資料を参照。

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