玉川乗合

提供: 下北沢百科

玉川乗合(たまがわのりあい)は、昭和二年に玉川電気鉄道(玉電)が開始したバス事業で、世田谷区内では旧日東乗合自動車仲田乗合自動車を買収している。

経緯

  • 昭和二年(1927年)12月16日、玉川電気鉄道がバス事業開始。4つのルートを新規開通させた。
    • 宮益坂下~三軒茶屋~大道南(桜新町):玉電と同路面
    • 宮益坂下~三軒茶屋~園芸学校:玉電駒沢と連絡
    • 宮益坂下~駒沢町~玉川:玉電と同路面
    • 宮益坂下~大橋~三軒茶屋:玉電と同路面
  • 昭和四年(1929年)10月、日東乗合自動車仲田乗合自動車を買収。それぞれの路線を延長拡充している。
    • 宮益坂下~淡島前~山崎:日東。淡島で代々木乗合と連絡
    • 宮益坂下~道玄坂上~淡島前:日東。淡島で代々木乗合と連絡
    • 宮益坂下~獣医学校前~経堂:日東。小田急と経堂で連絡
    • 宮益坂下~淡島前~恵泉女学園:日東。小田急と経堂で連絡
    • 淡島前~代田本村~経堂:日東。小田急と経堂で連絡
    • 宮益坂下~三軒茶屋~自動車学校:仲田。玉電と三軒茶屋で連絡
    • 宮益坂下~自動車学校~調布:仲田。小田急喜多見、京王国領と連絡
    • 自動車学校~調布:仲田。小田急喜多見、京王国領と連絡
  • 昭和七年(1932年)10月、渋谷駅~中原口の路線を開通。
  • 昭和十三年(1938年)4月1日、東京横浜電鉄玉川電気鉄道が合併。玉川乗合のバス路線も東京横浜電鉄自動車部の管轄となる。

旧日東のルートは多数あるように見えるが、基本的に一本の道筋であり、バス停を順に記すと、宮益坂下~道玄坂上~獣医学校前~淡島前~代田本村~山崎~経堂~恵泉女学園となる。山崎バス停は日東時代の世田谷町役場前である。また、このルートは道玄坂上から先は滝坂道を通っていたと考えられる。とすると代田本村バス停は現在の代田中筋あたりではなかったかと考えられる。また、昭和七年開通の中原口へ至るルートはこの支線で、世田谷梅ヶ丘郵便局付近から北上して代田不動付近に折り返し所があったと思われる。

同様に旧仲田のルートもまとめて記すと、宮益坂下~三軒茶屋~自動車学校~調布のルートとなる。

玉川乗合の新規路線は、宮益坂下~大橋~三軒茶屋~駒沢町~大道南~玉川(二子玉川)ルートが玉電に沿って走り、駒沢から府立園芸学校(現・都立園芸高等学校)へ向かう路線が分岐していた。

『東横百貨店』による沿革

「玉川電気鉄道株式会社沿革」(『東横百貨店』)[1]の「乗合自動車」の内容をまとめると、以下のとおりとなる。

  • 道玄坂上~新町間を限って免許され、昭和二年十二月同区間の運輸を開始
  • 次いで新町~大道南間、道玄坂上~渋谷駅前間、大道~南玉川間に区分して免許され、渋谷~玉川間の全通となった。
  • この前後に渋谷駅前~槍ヶ崎間、上通四丁目~山崎間、槍ヶ崎~諏訪山間、駒沢~園芸学校前間、山崎~経堂間、渋谷橋~元広尾間、経堂~恵泉女学校前間、三軒茶屋~調布間と順次拡張した。
  • 昭和六年9月には東京市営乗合自動車との間に特定料金制を設けた。

この記述によれば、昭和二年十二月の開業時点では道玄坂上~新町間のみであったということになるが、その後相次いで拡張されていった。

  1. 『東横百貨店』百貨店日日新聞社、昭和十四年、p179