東京電気鉄道

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東京電気鉄道は大正十年(1921年)設立の鉄道会社であり、東京山手急行電鉄の前身である[1]

大正時代の東京都心部の鉄道は放射状に計画されており、それを環状でつなぐ路線が計画された。その一つが、大井町から深川西平井まで結ぶ東京電気鉄道の計画である。

深川西平井町は明治二十二年(1889年)に南葛飾郡から深川区に編入されたエリアで、明治二十四年(1891年)に平井新田と石小田新田、洲崎弁天町の各一部を併せて起立された。昭和七年~昭和九年にかけて加崎町・東陽町・平井町に編入されて消滅した地名である。現在の江東区東陽三丁目~四丁目にあたる。明治十九年、東京帝国大学のすぐそばにあった根津遊廓を洲崎弁天町に移転させ[2]、新たに洲崎遊廓が設置されていた。大正時代末期には300軒前後の遊廓が建ち並び、「辰巳」の異名を持つ一大歓楽地であった。

年譜

  • 大正十年(1921)
    • 9月29日 東京電気鉄道株式会社発起人総代長井益太郎ほか一四名 鉄道(大井町―深川西平井)敷設免許申請
  • 大正十五年(1926)

注記

  1. 東京電気鉄道は歴史上、2社存在するようである。本項と異なるもう一つの東京電気鉄道は、明治33年(1900年)5月1日設立(資本金80万円)。同年9月17日に電気供給事業を許可されている。明治37年(1904年)12月8日に土橋~御茶ノ水間が開通したが、明治39年(1906年)9月11日、東京市街鉄道・東京電車鉄道と合併し、東京鉄道株式会社となった。この東京鉄道は明治44年(1911年)8月1日に東京市によって買収され、東京市電気局となっている。これは現在の東京都交通局につながるものである。したがって、明らかに本項の東京電気鉄道とは別会社であり、大正十年時点ですでに消滅していた。
  2. 坪内逍遙の妻はもともと根津遊廓の遊女である。