「渋谷急行電気鉄道」の版間の差分

提供: 下北沢百科
(ページの作成:「渋谷急行電気鉄道は、城西電気鉄道から改称された鉄道計画である。渋谷から吉祥寺までの工事施工認可まで得ていたが…」)
 
1行目: 1行目:
[[渋谷急行電気鉄道]]は、[[城西電気鉄道]]から改称された鉄道計画である。渋谷から吉祥寺までの工事施工認可まで得ていたが、[[東京郊外鉄道]に合併され、現在の[[京王井の頭線]]につながる路線の土台となった。
+
[[渋谷急行電気鉄道]]は、[[城西電気鉄道]]から改称された鉄道計画である。渋谷から吉祥寺までの工事施工認可まで得ていたが、[[東京郊外鉄道]]に合併され、現在の[[京王井の頭線]]につながる路線の土台となった。
  
 
==概要==
 
==概要==
30行目: 30行目:
  
 
以後の流れは[[東京郊外鉄道]]を参照のこと。
 
以後の流れは[[東京郊外鉄道]]を参照のこと。
 +
==注記==
 +
<references />
  
 
{{歴史的交通網}}
 
{{歴史的交通網}}
 
{{デフォルトソート:しふやきゆうこうてんきてつとう}}
 
{{デフォルトソート:しふやきゆうこうてんきてつとう}}
 
[[category:歴史的交通網]]
 
[[category:歴史的交通網]]

2018年8月16日 (木) 10:55時点における版

渋谷急行電気鉄道は、城西電気鉄道から改称された鉄道計画である。渋谷から吉祥寺までの工事施工認可まで得ていたが、東京郊外鉄道に合併され、現在の京王井の頭線につながる路線の土台となった。

概要

城西電気鉄道はかつて東京郊外電気鉄道の名で渋谷~東村山間の路線を出願していたが、鉄道省に「建設は不適当」と却下されたため、改めて城西電気鉄道と社名を改称、さらに渋谷吉祥寺間に建設区間も堅実な所のみに短縮した上で昭和二年(一九二七)四月一九日付で再出願したものだ。 — 今尾恵介『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み関東(2)京王・西武・東武』白水社

地方鉄道敷設免許申請

 帝都郊外ノ発展ハ日進月歩ノ状態ニシテ、停止スル処ナキ有様ニ候ヘ共、現在其人口ノ激増ニ伴フ最モ必要ニシテ緊切ナル交通機関ノ設備未タ充分ナリトハ申難ク、之ヲ欧米先進国大都市ノ郊外ニ通スル交通機関ノ設備セルニ遠ク及ハサルヲ遺憾ト存シ候。現下帝都郊外ノ交通ハ三四ノ路線ニヨル外ナク、郊外居住希望者ヲシテ交通利便ノ恵薄キヲ常ニ長嘆息セシメツヽアルハ、識者ノ親シク認メ且痛切ニ銘肝スル次第ニ有之候。茲ニ於テ下名等同志相計リ、渋谷町ヲ起点トシ駒場大学南端ヲ過キ世田ヶ谷町、松沢村、和田堀内村、高井戸村、三鷹村、武蔵野村井ノ頭公園ヲ経テ省線吉祥寺駅ヲ終点トスル電気鉄道ヲ敷設シ交通上ノ不備ヲ補ヒ、恵薄キ郊外居住希望者ノ便ヲ計リ、進ンテ沿線ノ繁栄ニ資シ、将来市地下鉄道ノ終点ヲ渋谷ニ設置セラルヽ場合ニ於テ之カ連絡ヲ為シ、市民ノ幸福ヲ増進シ、帝都発展ノ一助ト致シ申度、地方鉄道法第十二条ニヨリ前記鉄道敷設免許ノ義申請仕候間、何卒特別ノ御詮議ヲ以テ免許状御下付被成下度、関係書類相添ヘ此段奉願候也。
 昭和二年四月弐拾日
   東京市日本橋区青物町二十五番地
   城西電気鉄道株式会社

ルートは渋谷町-駒場大学南端(東京大学駒場キャンパス南端)-世田ヶ谷町-松沢村-和田堀内村-高井戸村-三鷹村-武蔵野村井の頭公園-省線吉祥寺駅となっており、現在の井の頭線のルートがこの段階ですでに決定していたものと思われる。

この出願後、渋谷急行電気鉄道に改称し、会社も設立されたが、昭和四年には小田原急行電鉄利光鶴松が就任し、小田急資本が投入されることになった。昭和五年には工事施工認可が下りるが、昭和六年、同じく小田急資本下にあった東京郊外鉄道に合併され、同社において着工されることとなる。

年表

  • 昭和二年(1927)
    • 4月21日 城西電気鉄道、渋谷~吉祥寺間の路線を出願。発起人総代 小早川常雄[1]
  • 昭和三年(1928)
  • 昭和四年(1929)
    • 7月15日 渋谷急行電気鉄道の経営陣を刷新、新役員選出。取締役社長 利光鶴松//取締役副社長 利光学一//常務取締役 鈴木義多郎//取締役 菅沢重雄 岩田勝蔵 宇井孝三 渡辺亨 池辺稲生 北川郡次 白杉次郎太郎//監査役 逸見知久 井上敬次郎 中野寅次郎
  • 昭和五年(1930)
    • 12月24日 渋谷急行電気鉄道渋谷―吉祥寺間工事施行認可
  • 昭和六年(1931)
    • 2月1日 東京郊外鉄道が渋谷急行電気鉄道を合併。資本金3800万円となる

以後の流れは東京郊外鉄道を参照のこと。

注記

  1. 京三製作所創業者
  2. 貴族院議員(1870~1956)