彦根藩
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彦根藩は明治維新後に成立した藩である。慶応四年の府藩県三治制以降を彦根藩と呼称する。
版籍奉還
大名の領地を「藩」と呼ぶのは、実際には幕末以降の俗称であり、江戸時代には「○○藩」とは呼ばれていなかった。慶応四年閏4月21日の「政体書」で「府藩県三治制」が正式に交付され、ここで大名領を「藩」と呼ぶことになった。したがって、本サイトにおいて、江戸時代は「井伊領世田ヶ谷領」と呼び、明治以降、「彦根藩」という呼称が成立してから廃藩置県で「彦根県」になるまでの約2年間を「彦根藩」とする。
この間に武蔵国内の幕府領・旗本領は武蔵知県事の管轄となったが、井伊領の世田ヶ谷領についてはそのまま彦根藩の管轄であった。
版籍奉還とは、大名が(徳川幕府から認められて)支配していた土地・人民を朝廷に返還することである。明治二年1月20日、薩摩・島津忠義、長州・毛利敬親、土佐・山内豊範、肥前・鍋島直大が連名で、新政府に対して「版籍奉還の上表」を提出した。これに続いて諸侯が次々と版籍奉還上表を提出した。6月17日に勅許が下り、彦根藩主井伊直憲も正式に新政府に任命された「知藩事」となった。
彦根藩
旧藩主・井伊直憲はそのまま彦根知藩事に任命され、明治二年7月には彦根表に到着、8月には改革を開始した。しかし、世田ヶ谷領代官・大場弘之介(信愛)については特に大きな変更はなく、そのままの行政体系が継続した。
- 慶応四年
- 閏4月21日:府藩県三治制はじまる。彦根藩のはじまり。
- 明治二年
- 2月9日:品川県成立。現在の世田谷区内には品川県管轄地と彦根藩管轄地が並ぶこととなった。
- 6月17日:版籍奉還。井伊直憲が彦根藩の知藩事となる。
- 7月:直憲、彦根表に到着。
- 明治四年
以後の経緯は彦根県を参照のこと。