彦根県

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彦根県は明治四年の廃藩置県によって成立した県である。間もなく長浜県に合併されるが、その過程で武蔵国荏原郡内の彦根県世田ヶ谷領東京府および神奈川県に組み込まれることになる。

廃藩置県

版籍奉還により大名は新政府から任命された知藩事となっていたが、その藩における統治は従来とさほど変わらず、藩ごとに独自の経営を行うこととなっていた。その中で藩財政が成立せずに廃藩を希望する藩も出てきていた。一方で中央集権化を狙う新政府は、薩摩・長州・土佐の兵力を背景に廃藩置県を断行することとした。

明治四年7月14日、東京にいる知藩事が皇居に集められ、廃藩置県が命じられた。知藩事は解職され、藩は県に置き換えられた。彦根藩世田ヶ谷領20か村は彦根県の飛地となった。

  • 明治四年
    • 7月14日:廃藩置県により彦根藩彦根県となり、知藩事・井伊直憲は解職される。
    • 7月15日:権大属・稲川退蔵が置県事務を執り行う。代官は、以後「彦根県」と呼ぶように、とのみ伝えられた。
    • 11月22日:第一次府県統合により、高島郡・伊香郡・浅井郡・犬神郡・愛知郡・神崎郡の7郡の範囲に長浜県が発足し、彦根県・宮川県・山上県・朝日山県が廃止となった。

歴史的行政区画(世田谷地域も含む)