品川県

提供: 下北沢百科

品川県(しながわけん)は、明治二年(1869年)に設置された県である。下北沢村代田村は品川県五番組に属していた。

経緯

  • 明治二年(1869年)
    • 2月9日:3名の武蔵知県事のうち古賀定雄(通称=古賀一平)の管轄区域が品川県となる。県役所は北品川の東海寺本坊に置かれることが決定したが、仮役所として日本橋浜町の牧野備前守屋敷が使用された。
    • 6月17日:版籍奉還により彦根藩彦根県となる。
    • 7月17日:寺社裁判所が廃止。増上寺領上北沢村が品川県管轄となる。他の寺社領も所在する村を管轄する県(品川県または彦根県)の管轄となる。
    • 11月:「社倉」設置の布告。凶作時に備えて備蓄米を供出することを命じたが、反発が起こり、御門訴事件につながる。
    • 12月18日:従来の組合寄場を廃止し、24の番組が設置される。
  • 明治三年(1870年)
    • 1月10日:御門訴事件。武蔵野新田12か村と田無新田村の農民が浜町の県仮事務所へ強訴を行う。門前での陳情に対して古賀知事は武力での制圧を行い、50人が逮捕され、関前村・関前新田の名主 井口忠左衛門ら3名が拷問などの末に獄死した。
県庁側では門訴歎願(門外から訴状を出すのをいう)では厳罰に処分できないので、一歩でも門内に入れて強訴として処置しようと、農民達が押し寄せたら四方からとり囲んで門内へひき入れる対策を立てていた。そこへ押し寄せた農民たちもそこは先刻承知で、始めのうちは門外でワーワーと、ときの声をあげるだけで門内に入らなかったが、そのうちに乱闘が始まり、県庁の役人岡野清三郎が鎌で横腹をえぐられて仆れるという事態に発展、農民たちはついに強訴一揆として扱われた。たちまち名主はじめ多数がその場で逮捕され、囲みを破って逃げた農民も指名手配されて追及され、後日に大部分のものが逮捕されたのである。 — 『品川県史料』
  • 明治四年(1871年)
    • 1月5日:寺社領が没収される。末端行政機関であった寺社の支配地が、一般の村となった。
    • 7月14日:廃藩置県。
    • 11月:品川県地域は東京府神奈川県への移管が決定された(→下北沢村・代田村を含む地域については東京府第七大区第六小区参照)

番組

明治二年12月18日、従来の組合寄場を廃止、24番組を設置した。下北沢村・代田村は五番組となり、特に下北沢村は「親村」とされている。以下、現在の世田谷区内の村(太字)が編入された番組については詳細、その他については親村のみを示す。

  • 壱番組:北品川宿
  • 弐番組:不入斗村
  • 三番組:町屋村
  • 四番組:中目黒村
  • 五番組
    • 親村:下北沢村
    • 惣代:重蔵
    • 経堂在家村・赤堤村・松原村・代田村・若林村・下北沢村・太子堂村・上馬引沢村・三宿村・池尻村・上目黒村・深沢村・中馬引沢村・下馬引沢村・野沢村・奥沢村・池沢村・等々力村・下野毛村・上北沢村・等々力村(増上寺領)・衾村
  • 六番組(→全村神奈川県編入)
    • 親村:大宮前新田
    • 惣代:八郎右衛門
    • 下高井戸村・上高井戸村・吉祥寺村・粕谷村・廻沢村・下祖師ヶ谷村・上祖師ヶ谷村・久我山村・船橋村・横根村・大蔵村・大宮前新田・松庵村・中高井戸村
  • 七番組(→全村神奈川県編入)
    • 親村:牟礼村
    • 惣代:三郎兵衛
    • 烏山村・給田村・牟礼村・下連雀村・上連雀村・野崎村・野川村・上仙川村・中仙川村・入間村・下仙川村・深大寺村・北野村
  • 八番組(→全村神奈川県編入)
    • 親村:上布田宿
    • 惣代:惣兵衛
    • 国領宿・下布田宿・上布田宿・下石原宿・上石原村・上飛田給村・押立村・上給村・作須村・柴崎村・金子村・泉村・覚東村・大町村・小足立村・駒井村・喜多見村・下飛田給村・上野村・矢ヶ崎村
  • 九番組:下小金井村
  • 拾番組:府中宿
  • 拾壱番組:熊川村
  • 拾弐番組:五日市村
  • 拾三番組:西分村
  • 拾四番組:下藤沢村
  • 拾五番組:山口町屋村
  • 拾六番組:所沢村
  • 拾七番組:上内間木村
  • 拾八番組:上白子村
  • 拾九番組:下安松村
  • 弐拾番組:田無村
  • 弐拾壱番組:中野村
  • 弐拾弐番組:中荒井村
  • 弐拾三番組:角筈村
  • 弐拾四番組:内藤新宿

歴史的行政区画(世田谷地域も含む)