木田郷

提供: 下北沢百科
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木田郷武蔵国荏原郡に八つあった郷の一つである。当サイトでは、下北沢・上北沢の名称の由来はこの木田郷にあると考える。

新編武蔵風土記稿 三十九 荏原郡 総説

(抜粋)考えるに、この郡はむかし田が多いところだっただろう。和名抄に載っている郷名の多くに田がついている。蒲田、田本、満田、御田、木田、桜田である。今は田地が少ない郡であるが、桑田の変は後の世からはわからないことである。

和名抄に載っている八郷と駅家

  • 木田:木多(きた)と註す。今、上北沢・下北沢の両村があるのがこれだという説もある。この説は北ということから起こったものとも思われるが確証はない。[1]

当サイトでの考察

木田郷の地名の由来は「北」ではないと考える。なぜなら、荏原郡の他の郷名に「東」「南」「西」「中」等を示すものがない一方、「田」を含む郷名が蒲田・田本・満田・御田・木田・桜田の六つあることは新編武蔵風土記稿でも指摘されているとおりである。この「田」は水田のみならず沼地や低湿地なども含むため、文字通り木の多い湿地で木田という由来ではないだろうか。

古代からの木田郷の名称から「木田沢」すなわち木田郷の沢地という名称が生まれたのではないか。「北にある沢」という名称であれば、何の北なのかがわからない上、他に「東沢」「南沢」「西沢」という地名が近隣に存在していない。「世田谷七沢」でも方角による指定は他にない。とすれば、旧来の木田郷にある沢地付近と考えるのが妥当ではなかろうか。これは、瀬田の谷だから世田ヶ谷というのと同型の地名であると考える。なお、漢字表記は時代によって変わるが音は比較的変わりにくいため、木田沢が北沢になることは珍しくないと思われる。

また、かつての「北沢村」が上北沢・下北沢になったという説では、その二つが離れていることがネックとなっている。もちろん、上と下の中間が別地名になることはよくあるが、これも「木田郷エリアの沢地の水源あたり」を上北沢、「木田郷エリアの沢地の下流」を下北沢と呼んだのだと考えれば、上北沢と下北沢が離れていても特段問題ないといえる。

注釈

  1. 現代語訳は木田沢ダイタによる。なお、他の郷などについては荏原郡参照。