十方庵遊歴雑記
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『十方庵遊歴雑記』:十方庵敬順(釈敬順)著。
隠者であった十方庵主が19世紀前半の江戸付近の名勝古跡を遊歴踏査した紀行文である。全5編。
十方庵敬順
十方庵主は、名を大浄、字を敬順・宗知という。本姓は津田氏で、織田信長の子孫と伝える。津田隼人正(盛月)(信長の兄の子)の子、津田信賢が三河の本法寺(真宗)に入り、寺主敬映上人の弟子となって賢順と改名、廓然寺と号した。その後子孫が廓然寺を継いだ。この寺は本法寺の子院である。このため、本法寺が江戸に移ると、それに従って江戸に移ってきた。
十方庵は賢順8世の裔である。江戸本所生まれで、牛の御前を産土神とした。11歳のときに江の島で遊んだことがあるという。天明元年3月、近藤知新庵の茶道を学び、翌年3月、小島卜斎の忍ヶ丘の茶室に入り、十種香を模して十煎茶を工夫した。また、その間に枇杷を鴨田検校に学んだという。文化八年、51歳のときに寺のことを子の大恵に譲った。遊歴雑記の序文は文化十一年(1814年)八月の日付となっている。
本法寺
本法寺は近江堅田で創建されたが、その後三河に移転、さらに宝永二年(1705年)に小石川小日向(現・文京区1-4-15)に移転してきた。本法寺には夏目漱石の実家の墓もある。