東京府第七大区第六小区

提供: 下北沢百科
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東京府第七大区第六小区(とうきょうふ だいななだいく だいろくしょうく)は、明治6年の大区小区制おける行政区画で、下北沢村代田村の領域を含む。

大区小区制の変遷

  • 明治四年(1871年)11月:東京府、朱引内外の戸籍区・行政区の整理を行う。警備体制上の府兵大区と戸籍区・行政区を一致させるため、朱引内・外の区別を廃して6大区に分け、各大区内を16小区に分ける。
  • 明治四年11月~明治五年:東京府、神奈川県・品川県(1月14日)・浦和県(1月24日)・長浜県(旧・彦根県)世田谷飛地(3月3日)・小菅県(3月16日)から管轄地の一部移管を受ける(ほぼ現在の23区内)。この新しい管轄地域も19小区に分け、東京府内は合計113小区となった。
  • 明治五年5月:神奈川県、県内を20大区182小区に分けていたが、廃止。
  • 明治六年3月:東京府、大区小区の再編成。朱引内が第一大区~第六大区、朱引外が第七大区~第十一大区となり、11大区103小区が確定した。
  • 明治六年4月:神奈川県、県内を20区185番組に編成。
  • 明治七年:神奈川県、大区小区制を復活。23大区208小区に再編成。

下北沢村代田村を含む旧品川県の区域は、第七大区第六小区となった。ちなみに、現在の世田谷区の範囲は、東京府第七大区の第六小区・第七小区、神奈川県第十区第八番組・第十番組・第十一番組にまたがっていた。

大区小区制は明治十一年(1878年)の郡区町村編制法施行まで用いられた。

所属

以下、明治六年現在の編成である。

  • 東京府第七大区
    • 第六小区(旧品川県所属):下北沢村代田村・池沢村・池尻村・三宿村・若林村・経堂在家村・松原村・赤堤村・上北沢村・上馬引沢村・中馬引沢村・下馬引沢村・野沢村・深沢村・奥沢村・奥沢本村・奥沢新田村・衾村[1]
      戸長:月村茂益
    • 第七小区(旧長浜県所属):世田谷村・鶴間木村・世田谷新町村・用賀村・瀬田村・野良田村・上野毛村・下野毛村・等々力村[2]・小山村
      戸長:豊田兵衛
  • 神奈川県第十区第十大区
    • 八番組第九小区:給田村・金子村・入間村・下仙川村[3]
    • 十番組第十一小区:喜多見村・宇奈根村・大蔵村・横根村・岡本村
    • 十一番組第十二小区:船橋村・八幡山村・廻沢村・粕谷村・上祖師ヶ谷村・下祖師ヶ谷村・烏山村

  1. 衾村は現在の目黒区に入る。
  2. 等々力村のみは旧彦根県所属ではない。
  3. 神奈川県第十区八番組の中では、給田村のみが現在の世田谷区内に当たる。

歴史的行政区画(世田谷地域も含む)