東横乗合自動車

提供: 下北沢百科

東横乗合自動車(株)(とうよこのりあいじどうしゃ)は、代々木乗合自動車の後継バス会社である。

経緯

合併以前については代々木乗合自動車の項を参照のこと。

この時期のルートは、現在の地名では渋谷から現在の東急本店の前から松濤を経て、東京大学駒場キャンパスの北を走るコスモス通り(航研通り)を通り、三角橋まで出て東北沢駅へ至り、さらに幡ヶ谷から中野方面へ向かうルート(東急バス渋55路線の一部)となる。コスモス通りは三田用水に沿っており、三角橋から南側のルートも尾根筋に当たる。

昭和七年のルート

昭和七年(1932年)『模範新大東京全図付録「新旧町名対照 大東京区別町名索引表」』[3]の「大東京乗合自動車網一覧」には、以下のように記されている。

△東横乗合自動車

  • 渋谷駅~中野登記所前間
  • 渋谷駅~代々木間
  • 三角橋~淡崎前間
  • 中野高等学校前~上の山間
  • 鍋屋横丁~中野通車庫前間
  • 目黒駅~大橋間
  • 田町駅~ヱビス駅間
  • 目黒駅~ヱビス駅間

渋谷駅前~三角橋~東北沢ルートは「渋谷駅~中野登記所前」間に延長されたと考えられる。また、「淡崎前」は「淡嶋前」すなわち淡島前の誤植であると考えて差し支えないだろう。すなわち、渋谷~三角橋~東北沢と三角橋~淡島のルートが存在していたといえる。なお、この時点では帝都電鉄はまだ開業していない。

昭和九年のルート

昭和九年(1934年)発行の鉄道省編『全国乗合自動車総覧』[4]には、以下のように精密な住所とルートが記されている。このうち、1は渋谷区上通三ノ四(渋谷駅西口)から栄通一ノ一四(現在の東急本店前のルート)を経て代々木上原町一二四〇(三角橋)に至るものである。2は同じく三角橋から東北沢駅前、大山園を経て幡ヶ谷駅前に至るルート。3は三角橋から世田谷区北沢四ノ三九三(池ノ上駅の北側)を経て世田谷区北沢二ノ二〇三(淡島前、淡島通りとの交差点。現在の淡島バス停とは少しズレる)まで続くルートである。ただし、三角橋~淡島前のルートは略図には記されていない。

ちなみに、この時点ではすでに帝都電鉄は渋谷~吉祥寺間の全線が開通している。

  • 事業者:東横乗合株式会社
  • 代表者:五島慶太
  • 住所:渋谷区景丘町四四
  • 資本金:200,000円
  • 払込額:100,000円
  • 使用車両:常用74予備8
番号 事業種別 起点又は分岐点 主なる経過地 終点 粁程 開業年月
1 旅客 渋谷区上通三ノ四 栄通一ノ一四 代々木上原町一二四〇 2.7 大9.12.25
2 〃代々木上原町一二四〇 代々木大山町一八 幡ヶ谷原町九〇〇 1.6 大10.6.30
3 世田谷区北沢四ノ三九三 世田谷区北沢二ノ二〇三 大11.12.23
4 渋谷区上通三ノ四 大向通二五 渋谷区代々木西原町一〇二八 2.7 大11.12.29
5 〃幡ヶ谷原町九〇〇 中野区新山通 中野区千代田町七六 2.4 大14.12.21
6 芝区田町二ノ一八 三田豊岡町一五 渋谷区ヱビス通一ノ一 2.8 昭2.3.20
7 中野区新山通一ノ一〇 中野区新山通二ノ一二 中野区新山通二ノ一六 0.6 昭2.9.13
8 〃川島町三一 中野区千代田町 〃本町通四丁目 1.6 昭4.12.28
9 渋谷区ヱビス通一ノ一 渋谷区ヱビス通二ノ一六 渋谷区景丘町四四 1.0 昭3.6.23
10 目黒区下目黒二ノ四〇三 目黒区中目黒二ノ五一〇 目黒区上目黒七ノ三八二 2.9 昭4.6.25
11 目黒区下目黒二ノ四五七 品川区上大崎五ノ五八七 0.7 昭4.9.30
12 北多摩郡三鷹村牟礼一〇六六   三鷹村牟礼四二七 0.7
13 渋谷区ヱビス通二ノ一 向山町 品川区上大崎五ノ五八七 2.7 昭5.11.1
14 目黒区上目黒二ノ一九六二 上目黒二ノ二〇七八 目黒区上目黒六ノ一五六六 1.3 昭6.7.1
15 渋谷区上通三丁目四   渋谷区並木町三〇 0.1 昭5.10.25
16 中野区本町五ノ三三   中野区本町通四ノ二一 0.1 昭6.6.3
17 北多摩郡小金井村小金井一八〇四 杉並区上高井戸二ノ二一六六 杉並区和田本町一〇九六 15.6
18 中野区宮里町二七 〃和田本町九〇 杉並区堀ノ内二ノ六一一 1.6 昭6.11.20
19 渋谷区景丘町三五 下通四ノ一二 渋谷区向山町一 1.2 昭6.10.31
20 〃上通三丁目四 神宮通二ノ二 〃穏田三ノ一七八 1.5 昭7.1.1
21 目黒区下目黒二ノ四〇三 品川区大崎本町二ノ四〇五 品川区五反田二ノ一五 2.1 昭7.2.1
22 中野区本町通四ノ二一 橋場町 中野区中野駅前 1.2 昭7.12.25
23 渋谷区代々木本町七二九 代々木初台 代々木新町五九 1.1
24 中野区新山通二ノ一六 杉並区方南町 杉並区堀ノ内二ノ四四〇 1.8 昭8.8.7
25 目黒区上目黒六ノ一五六六   目黒区鷹番町七八八 1.3 昭8.12.22
26 品川区大崎本町三ノ四〇三 西大崎町三ノ五三〇 品川区西大崎四ノ七六一 1.3 昭8.11.28
27 目黒区上目黒五ノ二四〇九   目黒区上目黒五ノ二三六三 0.4

東横乗合昭和9年.png[5]

  1. 『全国乗合自動車総覧』では大正十一年12月23日開業となっている。認可と実際の開業のズレかもしれないが未確認。
  2. 『世田谷近・現代史』等。昭和六年の『最新番地入東京郊外地圖』の裏面でも、「三角橋~幡ヶ谷間」「三角橋~淡島間」が記されている。
  3. 『模範新大東京全図付録「新旧町名対照 大東京区別町名索引表」』(九段書房、昭和七年十月)
  4. 鉄道省 編『全国乗合自動車総覧』(鉄道公論社出版部、1934)
  5. この図では東北沢は書かれているが、三角橋~淡島前間が書かれていない。すでに主要路線からは外れていたか、廃止の方向に向かっていたことがうかがえる。